睡眠時間と長時間労働:心身のリスク

「寝ないで働くなんて当たり前」「寝る間も惜しんで成果を出そう」という考え方は昔から根強くありますが、実際のところはどうなのでしょうか?激務と思われている有名な世界的経営者の睡眠スタイルや、長時間労働が引き起こす健康被害・生産性への影響などを踏まえながら、「しっかり寝ること」の大切さについてお話ししていきたいと思います。

1. 有名な世界的経営者の睡眠時間

まず、私たちがイメージする「世界的な経営者」というと、いかにも“短い睡眠時間でガンガン働いている”姿を想像しがちではないでしょうか。しかし、実際には必ずしも皆が超短時間睡眠を実践しているわけではありません。いくつか実例を見てみます。

  • イーロン・マスク(Elon Musk)
    テスラやスペースXなどを率いるマスク氏は、「基本的には1日6時間ほどは眠る」と公言しています。超多忙なイメージが強い一方で、脳をきちんと休ませる時間は確保しているわけですね。過去に、睡眠時間が不足していたころの自身のツイートやインタビューで、「ろくな判断ができなくなる」と反省を語っていたこともあります。
  • ティム・クック(Tim Cook)
    アップルのCEOであるティム・クック氏は、朝3時45分に起きる“早起きの達人”として知られています。しかしその分、夜は21時~22時台に就寝するというライフスタイルを取っており、しっかり7時間程度の睡眠を確保しているそうです。「早起き経営者=睡眠削ってる人」というわけではなく、むしろ計画的に寝る時間を前倒ししているんですね。
  • ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)
    Amazon創業者のベゾス氏は「できるだけ1日8時間は寝たい」とよく語っています。ベゾス氏曰く「睡眠時間を削って働くよりも、十分に休息を取ったうえで高い集中力と創造力を発揮したほうが、結果的に仕事の質が上がる」という考え方だそうです。

こうした例からわかるように、「世界をリードする経営者たち=超ショートスリーパー」という図式は必ずしも当てはまりません。真のショートスリーパーは0.004%しかいないという研究結果も近年報告されています。彼らの多くはむしろ、自分がベストを尽くせる睡眠時間をしっかり把握し、それを守る努力をしています。ビジネスの成功は「無理の効かせ方」よりも、「自分のパフォーマンスを最大化する方法を見つけること」によってもたらされるもの。睡眠はその鍵となる要素であるといえます。

2. 残業80時間・100時間規制の根拠は睡眠時間

一方で、日本の企業や組織ではまだまだ長時間労働が存在しているのも事実。実際、月に80時間100時間を超える残業をしている方も少なくありません。こうした数字は、厚生労働省が「過労死ライン」として定義している基準と深く関わっています。

  • 過労死ラインとは?
    過労死ラインと呼ばれているのは、直近1か月で残業時間が100時間を超えたり、2~6か月の平均残業時間が80時間を超えたりする状態を指します。もちろん個人差はあるものの、これほどの時間外労働が常態化すると、心身の負荷が深刻なレベルに達する可能性が高いと考えられています。
  • 働き方改革関連法
    2019年の働き方改革に伴い、「月残業時間が100時間を超えるような働かせ方はやめましょう」という規制が強化されました。また、有給休暇の取得義務化など、労働者の健康やワークライフバランスを維持するための取り組みも進んでいます。なぜこうした規制が設けられるのか? それは、長時間労働による睡眠不足が大きな問題だからです。つまり、「労働時間を際限なく延ばしてしまうと、自然と睡眠時間が削られる → 心身が壊れる」という研究調査報告をもとに、過労死ライン、働き方改革関連法が整備されたのです。

こうした背景からも、「長時間働く=偉い」「根性で乗り切る」という価値観は、現代のビジネスにおいては不適切といえます。過度な労働は社員自身の健康を損ない、企業にとってもリスクが高く、さらに社会全体にも悪影響を与えるからです。

3. 睡眠不足の悪影響:健康被害とメンタルヘルス悪化

では、実際にどの程度「睡眠不足」は私たちの体や心にダメージを与えるのでしょうか?ここではいくつかの研究や統計データを交えながら解説します。

  1. 生活習慣病リスクの増加、過労死
    睡眠不足が続くと、肥満や糖尿病、高血圧、心疾患、脳卒中などのリスクが高まると報告されています。これはホルモンバランスが乱れ、血糖値や血圧のコントロールが難しくなることが一因です。特に忙しい社会人は夜遅くまで仕事をして帰りが遅くなり、食生活の乱れやストレスが加わることで、生活習慣病を発症しやすくなります。最終的に、過労死と呼ばれる脳卒中や心筋梗塞、致死的な不整脈などが起こりえます。
  2. うつ病や不安障害との関連、自殺
    慢性的な寝不足は脳の機能を大きく損ない、感情のコントロールが難しくなります。結果としてイライラしやすかったり、ちょっとしたことで落ち込んだりと、メンタルヘルスに深刻な影響を及ぼすのです。実際に、慢性的な睡眠不足がうつ病や不安障害、パニック障害などの引き金になる可能性があるという研究結果も少なくありません。弊社代表も、普段のメンタルクリニックの臨床で、あらゆる精神疾患患者様において、睡眠不足が病状の発症・悪化を引き起こしていることを嫌というほど経験しています。最終的に自殺するリスクも上がります。
  3. 免疫力の低下、がん
    十分な睡眠は体の免疫機能を維持する上で非常に重要です。寝不足になると風邪やインフルエンザなどにかかりやすくなり、回復にも時間がかかりがち。仕事で疲れ切っている時こそしっかり寝たいところですが、長時間労働が続くとその睡眠すら十分に取れないことが多いですよね。結果的に体調を崩し、さらに仕事に悪影響を及ぼすという悪循環に陥るケースも珍しくありません。また、我々の体には日々がん細胞が生じていますが、免疫ががん細胞を退治してくれています。しかし睡眠不足はその力が弱まり、睡眠時間が6時間以下の人は7時間以上の人と比べて、がんの発症リスクが40%上昇するとの研究結果もあります。

4. 睡眠不足の悪影響:生産性低下・ミス増加

さて、健康面でのリスクに加えて見逃せないのが生産性への影響です。「長時間働いたら、その分たくさん成果が上がるんじゃないか」と思われがちですが、実際は「長時間働く→睡眠不足になる→パフォーマンスが落ちる→仕事の効率が下がる」という図式が成り立つことが、様々な研究で示唆されています。

  • 集中力・判断力の低下
    人間の脳は睡眠によって1日の情報を整理し、記憶を定着させ、神経細胞の疲労を回復します。睡眠不足が続くとこの整理が不十分なまま仕事に取り組むことになるため、集中力が散漫になったり、判断ミスを起こしやすくなったりします。
  • ミスや事故の増加
    有名な話としては、長時間運転をしているドライバーは居眠り運転や注意散漫による事故を起こしやすいというデータがあります。これはオフィスワーカーでも同様で、机に向かっていても頭がぼんやりする時間が増え、ちょっとした確認ミスや情報の取り違えを起こしやすくなります。
  • 組織全体の経済損失
    アメリカの調査会社RANDの報告によれば、睡眠不足による経済損失は各国で莫大な金額に上るといいます。日本の場合は年間約15兆円(GDPの2.9%相当)という数字も示されており、これは「従業員が寝不足のまま働いていることで本来の生産性を発揮できない」状態が経済面でも大きなマイナスになっている証拠だと言えます。

「自分が少し寝不足でも大丈夫」「徹夜して頑張る方が成果が出る」と思ってしまいがちですが、実は睡眠不足は企業全体にとってかなり大きなコストになっているわけです。

5. 好きで働きすぎるのも実は危険

長時間労働の問題は、「会社や上司に無理やり働かされている」場合だけではありません。本人が「好きで働いている」「楽しくてついつい残業してしまう」というケースでも、過労のリスクが十分に存在します。なぜなら、熱中している状態やアドレナリンが出ている状態では、疲れを感じにくくなるからです。その結果、自分では「まだまだ大丈夫」と思いながら、実際には心身に大きな負荷がかかり続けている可能性があります。

好きで働きすぎて過労死する例もある
たとえば、クリエイティブな仕事やIT業界など、「自分が手がけたプロジェクトを成功させたい」「自分の作品をよりよいものにしたい」といった情熱が強い人ほど、休むことを後回しにしてしまう傾向があります。実際、仕事自体は楽しんでいるのに、気づいたときには不規則な生活が積み重なり、睡眠不足や慢性的な疲労から体調を崩す、最悪の場合には過労死に至るケースも報告されています。
「楽しいから大丈夫」と思っていても、長時間労働が続けば当然身体は悲鳴をあげますし、興奮状態が切れたときに一気に体調を崩す例もクリニックで数多く診てきました。

このように、仕事へのモチベーションや情熱が高いほど、自分の限界に気づきにくいという側面があります。だからこそ、いくら好きな仕事でも、労働時間の上限や休息の取り方をしっかり意識する必要があります。

6. しっかり寝て健康を維持して働くことの重要性

それでは、どうすれば「睡眠不足による悪循環」から抜け出し、「しっかり寝て高いパフォーマンスを発揮する」状態を作れるのでしょうか?ここからは、経営者や人事・労務担当者が取り組める具体的な施策も交えながらお話しします。

6-1. 長時間労働を是正する

当たり前のようですが、まずは労働時間自体を短縮することが最優先です。深夜や休日まで連続して働かせる環境では、社員の睡眠時間を確保するのは困難になります。

  • 勤務間インターバル制度の導入
    退勤してから次の出勤までに一定の休息時間を設ける制度です。例えば、終業から始業までに最低でも11時間以上あけるなどの制度を導入します。こうすることで、社員は帰宅後にしっかり睡眠を取れるため、翌日の業務効率も高まります。
  • 残業の上限規制やシフト管理の徹底
    「なるべく残業しない」風土づくりや、そもそも残業しなくても業務がまわる仕組みを社内で構築することが重要です。部署間の業務バランスや人員配置を見直して、個々の社員に負荷がかかりすぎないように配慮することが重要です。

6-2. 睡眠と健康の関連を啓発する

「忙しいけど充実しているから大丈夫」「寝なくても大丈夫」といった先入観を持つ社員は少なくありません。そこで、社内研修や社内報を通じて、睡眠の大切さや睡眠不足がもたらす悪影響を周知していきましょう。

  • 睡眠セミナーや勉強会の開催
    産業医や外部の専門家を招いて、睡眠改善のコツや自己管理の手法を共有してもらう。体内リズムや寝る前の生活習慣(スマホやPCの使い方など)の見直しなど、明日から実践できる具体策を知ることで、社員の意識を高められます。
  • 情報発信ツールの活用
    社内ポータルサイトや掲示物などで、睡眠にまつわる最新のエビデンスをわかりやすく紹介するのも手です。「しっかり寝ると仕事の質が上がる」というポジティブな角度で伝えると、社員のモチベーションにもつながります。

弊社代表も、顧問先では常々睡眠の重要性について、面談、衛生講話、研修などで繰り返し社員の方に伝えています。

6-3. フレックスタイムやリモートワークなど柔軟な制度づくり

社員それぞれのライフスタイルや、個人の体内時計(朝型・夜型)に合った働き方を許容することで、より質の高い睡眠と仕事の両立がしやすくなります。

  • フレックス制度
    コアタイムを短く設定して、出社・退社時間をある程度自由に選べるようにする。朝型の社員は早めに始業して早く帰れるし、夜型の社員は少し遅めに出勤して集中できる時間帯を有効活用できる。
  • リモートワークの活用
    通勤に時間をかけなくて済む分、睡眠時間が確保しやすくなります。特に育児や介護と仕事を両立している社員にとっては、在宅勤務によって心身の負担が大幅に減り、仕事と生活のバランスが取りやすくなります。

6-4. 職場環境での休息サポート

仕事中は「眠気を我慢する」のではなく、短い仮眠(パワーナップ)をとることで午後の集中力が劇的に改善することが知られています。

  • 仮眠スペースや休憩室の設置
    社内にソファやリクライニングチェアを置いたリラクゼーションスペースを用意し、昼休みや休憩時間に自由に仮眠ができるようにする企業も増えています。三菱地所やGoogleなどの大手でも取り入れられており、仕事の生産性アップにつながるとの報告があります。
  • 短時間の休憩推奨
    15分~20分程度の仮眠をとると、驚くほど脳がスッキリし、その後の業務効率が上がります。加えて、こまめに休息をとれる風土が根付けば、社員同士のコミュニケーションが活発になりやすいという副次効果も期待できます。

6-5. 経営層・管理職が率先して「休む」姿勢を見せる

最後に、経営者や管理職が率先して健康的に休むことの重要性を強調しておきます。なぜなら、トップが「寝る間も惜しんで働く姿勢」を見せると、部下は「それに合わせなきゃ」というプレッシャーを感じてしまいがちだからです。

  • メールやチャットの時間ルール
    深夜のメール送信を控えたり、部下には「終業後は連絡を見なくてOK」とはっきり伝えたりして、オフの時間を尊重する文化を根付かせる。
  • 有給休暇や休暇制度の積極的活用
    経営陣や管理職が自ら有休を取得することで、部下たちが「休んでもいいんだ」と気兼ねなく休める風土が醸成されます。実はこうした“小さな行動”が、睡眠不足や長時間労働を解消する大きな一歩になるのです。

まとめ:睡眠を味方にしてこそ、持続的な成長が実現できる

ここまで見てきたように、睡眠は私たちの健康と仕事のパフォーマンスを左右する最重要要素の一つです。長時間労働を続けて睡眠を削ることで、一時的には「仕事に多くの時間を割いている」という満足感が得られるかもしれません。しかし、その代償として事故やミス、判断力の低下、メンタル不調など、さまざまなリスクが高まります。それは結局、企業としての成長を妨げる障害となるでしょう。

逆に、社員がしっかり睡眠を取れる環境を整えることは、企業にとって「投資」です。十分に休めている人は高い集中力や創造力を発揮し、生産性向上やイノベーションの創出にもつながります。働き方改革の一環として、ぜひ「社員の睡眠」という観点も組み込んでみてはいかがでしょうか?

弊社では、首都圏の企業様向けにセルフケア研修、健康セミナー、精神科顧問医サービスなどを提供しています。お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせ

    プライバシーポリシーをご覧いただき、「個人情報の取り扱い」についてご承諾いただいた上、送信ください。

    目次