産業医の重要な役割の一つに、メンタル不調で休職した従業員の復職判定があります。このプロセスは、従業員の健康と企業の健全な運営の両面で非常に重要です。しかし、復職を巡る対応が適切でない場合、訴訟に発展することもあります。
復職拒否に関する事例
事例:片山組事件(最一小判平成10年4月9日)
片山組事件は、建築工事現場で21年以上現場監督業務に従事していた従業員がバセドウ病を発症し、現場作業が困難になったことから、事務作業への配置転換を申し出たにもかかわらず、会社がこれを認めず、自宅治療を命じたことが争点となった裁判です。従業員は診断書を提出し、「軽作業は可能」と主張しましたが、会社は現場作業ができないことを理由に自宅療養を命じ、約4か月間の賃金を支払いませんでした。従業員はこの対応を不当とし、賃金と賞与の支払いを求めて提訴しました。
裁判所は、労働契約において職種や業務内容が限定されていない場合、現在の配属先で業務を遂行できないとしても、従業員の能力や経験、会社の規模や配置異動の実情などを考慮し、他の業務に従事できる可能性があるならば、労務を提供していたとみなされると判断しました。したがって、会社が事務作業への配置転換を検討せず、直ちに欠勤扱いとして賃金を支払わなかったことは不適切であるとし、会社に賃金支払い義務があると認めました。
この判例から、会社が自由に配置転換を命じる権限を持つ一方で、従業員の健康状態により特定業務の遂行が困難になった場合には、他の業務への配置転換を検討する責任があることが示されました。また、配置転換を申し出た従業員に対し、その可能性を検討せずに欠勤扱いとすることは、不合理であると判断されました。
事例:日本テレビ放送網事件(東京地裁 平成26年5月13日判決)
この事例では、うつ病により休職していた従業員が、主治医から復職可能との診断書を会社に提出し、復職を希望しました。しかし、会社は産業医の意見を基に復職を認めず、リハビリ出勤のプロセスを提案しました。従業員はリハビリ出勤を開始しましたが、途中でペースを落とし、最終的に復職が認められないまま退職扱いとなりました。従業員はこれを不当として訴訟を提起しました。
裁判所は、主治医の診断書に「職場の対人関係が変わらなければ再発の可能性がある」と記載されていたことや、産業医が「復職可能と判断できない」と意見していたことを根拠に、会社の対応には正当な理由があると判断しました。また、復職に向けたリハビリ出勤のプロセスで、従業員がペースを落とし、会社の定めた段階を踏まなかったことから、復職拒否は適切だったと認められました。
この判例から、メンタル疾患で休職した従業員の復職対応には、産業医と密に連携し、復職基準を明確にすることが重要だとわかります。また、主治医の診断だけでなく、復職の可否や必要な配慮について詳細な文書を取り交わすことも、適切な判断を行うために必要です。
事例:日本電気事件(東京地裁 平成27年7月29日判決)
本件は、アスペルガー症候群の従業員が休職期間満了時に復職可能かどうかが争われた事例です。従業員は当初、統合失調症の疑いで休職を命じられましたが、その後アスペルガー症候群と診断されました。医師からは「対人交渉の少ない業務であれば通常勤務が可能」との診断を受けましたが、試験出社の際に、コミュニケーションが困難で指導が受け入れられない様子や、不穏な行動が見られました。そのため会社は、復職は難しいと判断し、休職期間満了に伴い自然退職としました。
従業員は、自身の障害特性に配慮した職務への配置を求め、復職可能と主張しましたが、裁判所は、就業規則上の「休職の事由が消滅」とは従前の職務に通常通り従事できる状態を指すと判断しました。また、障害者雇用促進法の趣旨を考慮しつつも、会社に過度な負担を強いる義務はないとし、会社の対応は適切であったと認めました。その結果、従業員の請求は棄却されました。
本件は、休職中に診断が変更された場合の復職判断基準や、企業が求められる合理的配慮の範囲を示す判例として、実務上参考になる事例といえます。
事例:シャープNECディスプレイソリューションズ事件(横浜地裁 令和3年12月23日判決)
この事案は、会社に入社後間もない従業員が、上司の指示に従わない言動や業務遂行能力の不足、コミュニケーション能力の欠如などが見られたため休職を命じられ、休職期間満了後に自然退職とされたケースです。従業員は、復職可能だったにもかかわらず自然退職とされたのは無効であると主張し、裁判所は従業員の主張を認めました。
裁判所は、復職の可否について、従前の職務を通常の程度に遂行できる健康状態であることを要件としつつも、休職前の職務遂行レベル以上を求めることは許されないと判断しました。従業員については、適応障害を発症し、休職期間中に症状が寛解したと認定したうえで、従業員の障害には適応障害による症状と、従業員自身の「本来的な特性」によるものがあり、両者を区別すべきとしました。その結果、従業員は発症前のレベルまで回復していたと判断し、復職可能であったと結論付けました。
法的対応のベストプラクティス
復職判定における法的リスクを回避するためには、以下のポイントが重要です。
1. 就業規則の整備:休職や復職に関する明確な規定を設け、復職の判断基準や手続きを明文化しておくことが求められます。
2. 主治医と産業医の連携:主治医の診断書だけでなく、産業医との面談を実施し、職場復帰の可否を総合的に判断します。主治医と産業医の情報交換を適切に行うことで、より正確な判断が可能となります。
3. リハビリ出勤の活用:試し出勤やリワークプログラムを導入し、従業員の職場適応状況を確認することが効果的です。ただし、リハビリ出勤の位置づけや期間中の労働条件については、事前に労使間で明確に合意しておくことが重要です。
4. 情報の適切な取り扱い:従業員の健康情報の取り扱いには慎重さが求められます。情報の収集や共有にあたっては、労働者の同意を得るとともに、プライバシー保護に十分配慮する必要があります。
適切な復職判定と対応は、従業員の健康回復と職場定着を促進し、企業の生産性向上にも寄与します。産業医として、法的リスクを回避しつつ、従業員と企業双方にとって最善の支援を提供してまいります。
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